全日本学童大会マクドナルド・トーナメントの群馬県予選大会は、他3つの上部大会の予選も兼ねている。準決勝で敗退したチーム同士による3位決定戦は、勝者が阿波おどりカップ(8月6日開幕・徳島)へ、敗者は関東学童(8月2日開幕・茨城)へ。試合は一方的な展開となりかけた中で、双方のチームカラーや指揮官のスタンスが浮き彫りに。どちらも、ここまで勝ち上がったのは初めてのことで、「明るさ」という共通点があった。では、戦評に続いて、それぞれの快進撃の理由や背景に迫るインサイドストーリーをお届けしよう。
(写真&文=大久保克哉)
※記録は編集部、本塁打はすべてランニング
※※決勝の戦評と優勝チームの紹介は追って公開します
■3位決定戦
◇5月4日 ◇上毛新聞敷島球場
▽第1試合
伊勢崎南ホークス(伊勢崎)
20290=13
10025=8
オール東 大利根(前橋)
【伊】栗原、関口大、吉野里-吉野里、関口大
【オ】日高将、髙橋、菅原-菅原、田島
本塁打/関口大(伊)
二塁打/栗原2、中里、小茂田、五十嵐(伊)、塚本(オ)
【評】先攻の伊勢崎南ホークスが関口大愛の2ラン(=上写真)で1回に先制し、以降も主導権を握ったまま勝ち切った。1点リードで迎えた3回には、五番・小茂田樹の2点二塁打で4対1と中押し。続く4回には、相手投手の乱調にも乗じて栗原新岬主将(=下写真)と五十嵐祐介の適時二塁打など、打者15人で9得点と一方的にリードを広げた。
オール東 大利根は、先発左腕の日高将翔(=上写真)が時には痛打されて3回4失点も、70㎞台の遅球を軸に丁寧に投げ続けた。また打線のほうは、1対13と苦しくなった4回裏から反撃をスタートした。
四死球や敵失に足技を絡めて2点を返すと、5回には3巡目に入った打線がつながる。三番・柴田大晴(5年)、代打・稲垣奏空、七番・髙橋和真と3本のタイムリーで小刻みに1点を重ねると、代打出場から2打席目の5年生・塚本祥起が左越えの2点二塁打で8対13に。だが、猛追もここまでだった。
〇伊勢崎南ホークス・早川良監督「最後の守りでは、野球の独特の流れや野球場の怖さを体験できたと思います。一人ひとりが自覚を持って、状況を冷静にみて自分のやるべきことをやる。これが研ぎ澄まされていけば、上の大会でも活躍できるかなと思います」
●オール東 大利根・杉本尚穂監督「4回の守りでは『アウトをとにかく増やせ』という指示をしました。5回裏は11点取って勝つつもりでした。マック(全日本学童)の予選でここまで来られたのも初めて。上出来でしょ!!」
■TEAM inside story
―第3位―
合併5年目の躍進。「ユーモアとスポーツが世界を救う」
[群馬/伊勢崎市]
いせさきみなみ
伊勢崎南ホークス
➡阿波踊りカップ2025出場決定
やられてもやり返せる。誰かがミスしても、誰かが挽回する。前日の準決勝から3位決定戦まで、2日間で2試合を終えた伊勢崎南ホークスの早川良監督は「この大会を通じて選手たちの成長していく姿が見られましたし、粘り強さが出てきましたね」と、目を細めた。
誰かが誰かをフォロー
準決勝は4回まで一進一退のナイスゲームを展開。終始、リードした3位決定戦は流れを失いかける場面が何度かあったが、ことごとく踏みとどまった。
例えば、関口大愛の先制2ラン後の1回裏の守りだ。スタメンで唯一の下級生、関口琉那(4年)の落球とバッテリーミスで1点を失い、なおも一死二、三塁のピンチ。ここでマウンドの栗原新岬主将はストライク先行で踏ん張り、遊撃手の関口大と三塁手の星野謙二朗が、それぞれゴロをきっちりとさばいて1点リードを守った(=下写真)。
1回、4回と二塁打を放って得点にも絡んだ栗原主将は、チームの持ち味と銅メダル獲得の要因をこう語っている。
「元気があるチームです。試合に出ている9人だけではなくて、ベンチからも大きな声が出てチーム一丸になれたと思います」
12点リードの4回裏には与四球や内野陣のミスが重なり、2点を失ってしまう。だが、二番手の関口大とマスクをかぶる吉野里輝が、一死一、三塁から二盗を阻止して不穏な空気を断ち切った。
攻めてもフォローが効いていた。3回表、一死から左翼線へ二塁打を放った二番・中里銀次(=上写真)は、四番・吉野里の二ゴロを相手がファンブルしたのを見て、一気に本塁を突いた。結果、挟殺されたので「好走塁」とは言えないのかもしれないが、逆方向にゴロが転がった瞬間からの動きも走路も、敵にスキあらば本塁へという意思が感じられるものだった。
攻撃時は1球ずつサイン
「ユーモアとスポーツが世界を救う。そういう思いが根底にあって、体現したいと考えているので、良いプレーをすれば対戦相手でも称えたいし、気の抜けたことをすれば叱咤激励したい。いつもそういう気持ちでいます」
こう語る早川監督が、準備と意思を伴っていた中里の走塁死を咎めるはずもない。そして五番を打つ小茂田樹が、静まりかけたムードをひと振りで一変させた。二死二、三塁から初球ストライクを右中間へ弾き返して二塁へ(=下写真)。これで4対1とリードを広げた。
「サインは『打て!』でした。甘い球を逃さず、単打で次のバッターにしっかりつなぐという意識で打ちました」
こう振り返った小茂田に限らず、伊勢崎南の各打者はたとえ二死無走者でも1球ずつ、ベンチのブロックサインを見ていた。その狙いを指揮官はこう語っている。
「最近はノーサインで進める野球も流行りですけど、中学以上ではまだ少ないと思います。ベンチのサインを見るタイミングとか間合いの取り方とかも、子どもたちには覚えていってもらいたいので、何もない場合でも短いサインを出すようにしています」
サインの有無にかかわらず、選手たちは野球をしっかりと教わり、主体的な判断やプレーができるまでになっている。その象徴が中里の走塁であり、センターを守る小茂田からもうかがうことができた。二塁けん制や相手が二盗を企図した際に、中堅手の小茂田はほぼ決まって二塁ベース方向へ本気のダッシュをしていた。
「ただ走るのがバックアップではない。実際にボールが抜けてきても走者を絶対に進ませない、という位置にまで移動してきて備える。そこまでができて初めて、バックアップだと考えています」
これは宮城・仙台育英高の須江航監督が、かつて系列の中学軟式野球部を日本一に導いたころに、筆者が聞いたコメントだ。体力も走力も中高生に遠く及ばぬ小学生に、そこまで求めるのは酷かもしれないが、小茂田は多くの場面でそれができていた(=下写真)。
「あれをやりだしたのは6年生になってから。でも、やれてないときもあります」と、本人は正直に打ち明ける。それでも、各県の全国予選を筆者が取材してきた限り、バックアップの本気度と継続性においては、小茂田がピカイチだった。
全国予選も終盤のハイレベルになるほど、外野守備は深めになる。中堅手にスペシャリストを配するケースも多く見られる。けれども、投手や捕手の悪送球でボールがセンターへ抜けてから、中堅手が慌てて動き出すがために、三塁を奪われるシーンの何と多かったことか。
八番・五十嵐祐介は、初球ストライクをフルスイングして2安打3打点
打撃も1球ずつサインがあるからといって、選手は受け身ではない。3位決定戦の4回には8四球を選んだようにボール球は見送りつつ、好機では若いカウントから迷いなくスイングをしていた。
「次につなぐ意識」を異口同音に語った彼らだが、学童野球でもレベルが上がるほど、追い込まれれば投手有利になることも理解しているのだろう。九番の星野は2回二死一塁から空振り三振も、バスター打法でストライクボールに果敢に食らいつき、追い込まれてからもファウルで2球粘っていた。
「ああいうところにも成長を感じました。特にチャンスの場合は、良い球が来たら初球からいこうよ、ということを常々言ってきてますから」(早川監督)
合併発足から5年目
伊勢崎市で活動していたシルバーコンドルと、剛志スラッガーズの合併により、誕生して5年目。元は父親コーチだった早川監督が就任して3年、チームの記録はまだまだ塗り替えられていくことだろう。
8月には徳島県で開催の、阿波おどりカップへ初出場する。
「やっぱりホームランを打ちたい」と関口大。「徳島でもチーム一丸で優勝する気持ちで勝ち進んでいきたい」と栗原主将も鼻息が荒い。でも、指揮官だけは野球や結果のことには一切触れず、うれしそうにこう言った。
「阿波おどりはお祭りでしょうから、ウチらもお祭りということで。こんな経験は生涯で1回かもしれないので、みんなの思い出づくりと、あとは美味しいものを食べて帰ってきたいなと思います」
―第4位―
「本人がやりたいところで」。13年で5人から大所帯への進化と躍進のワケ
[群馬/前橋市]
あずま おおとね
オール東 大利根
➡第48回関東学童出場決定
「あんな経験は初めてでした…(ベンチへ戻る際に)ちょっと涙が出ました」
大人のプロ選手でも、半ベソをかいたかもしれない。そんな“生き地獄”のようなマウンドで苦しみ抜いたのは、七番・中堅でスタメン出場していた髙橋和真だった(=上写真左※右は田村冴助主将)。
“生き地獄”も投げ出さず
二番手で髙橋が登板したのは、3位決定戦の4回表。1対4とビハインドの展開で、イニングの頭から任された。前日の準決勝も5回に三番手で登板し、2安打1四球で満塁のピンチを招くも、後続を断って無失点で終えていた。しかし、この日は――。
いきなり下位打線に3連続四球。そして一番打者に2点二塁打を浴び、内野ゴロ、死球、内野ゴロで計4点を失うも、二死まで漕ぎつけた。ところが、ここからが長かった。途中に二塁打1本をはさんで、6連続四死球。3アウト目の空振り三振を奪った打者が、何とイニング15人目で、スコアは1対13と絶望的なものになってしまった。
「ふつうなら代えるでしょ」
後日、そう振り返った杉本尚穂監督は、最初の3連続四球の時点でタイムを取り、マウンドへ(=上写真)。そこで髙橋に「どうする?」と尋ねると、「投げます!」と答えたという。そこでもし、降板を申し出たり、無言であれば、間違いなく三番手の投手を送り込んでいたという。
髙橋はボール球ばかりを続けたわけではない。早々に追い込んでから与死球など、惜しい内容もあったが、大乱調は誰の目にも明らか。それでもイニングの最後まで、自らの意思で右腕を振り続けた。
「途中からホントに苦しかったけど、ココを抑えて、次の回に大量得点で逆転しようという気持ちで投げました」
ベンチの指揮官はじっと動かず、柔和な表情でマウンドを見守っていたのが印象的だった(=上写真)。そしてどうにか3アウトを奪い、戻ってきた右腕の顔に涙を認めると、再びこう尋ねた。
「泣くなら、代わるか?」
「代わりません!」
指揮官に即答した髙橋は直後の4回裏の攻撃、一死三塁から内野ゴロで1打点。全力疾走で敵失も誘って一塁に残ると、二盗、三盗を立て続けに決めた。さらに5回裏、二死一、二塁から内野安打でもう1打点を追加し、続く塚本祥起(5年)の左越え二塁打で一気に生還した。
4回裏、髙橋は遊ゴロで1打点(上)。続く5回裏にも内野安打で打点を稼ぎ、5年生・塚本の2点二塁打(下)につなげた
10点取られたら11点返せば
オール東 大利根は結局、5回裏に打者一巡で5得点。ただし、10点ビハインドから始まった攻撃であり、大勢はほぼ確実に決していた。ところが、指揮官は諦めていなかったと語る。
「最後の攻撃で意地? いや、オレは選手たちに『11点取れば勝てるよ!』と言ってましたから、マジで。5点で終わっちゃいましたけどね(笑)」
杉本監督の談話はこういう調子で、どこまでが本気で、またどこまでが冗談交じりなのか、初対面では判別しにくい面はある。でもとにかく、目の前の結果にだけ固執してないのは確か。子どもたちに先んじて、身の丈にまるで合わぬ大目標を掲げたり、勝ちたいがために変化球の握りを小学生に命じるような輩でもない。
「ぶっちゃけ、自分たちの前橋市(32チーム)でベスト8に入ればいいかなくらいにオレは思っているんですよ。そこまで行けば、だいたい県大会には出られるので」
こう語る杉本監督は、息子がチームに在籍していた間は父親コーチだった。息子が卒団すると、中学時代の先輩でもある川村一朗マネージャーからの指令で、指揮官となったのが13年前。当初は選手が5人にまで激減しており、2年間は試合に勝った記憶がないという。
長かった4回表の守りだが、この回から右翼守備に入った5年生・樋口湊翔の声が止むことはなかった(上)。四番・菅原蒼穹は2打席連続四球からいずれも二盗、5回表には三番手で登板して無失点、右腕がよく振れていた(下)
「歳をとるとだんだんこんな感じになってくるのかな(笑)。でも、練習はそんなに甘くないし、きちっと教えてますよ。大会はね、もう練習じゃないので、結果でいちいちあれこれは言わない」
そんな指揮官の下に、徐々に選手が集まりだして、今年は6年生も5年生も9人ずつ。その下の4年生も7人がベンチ入りしていた。近年は実績も伴うようになってきて、昨年8月の県大会(JAグループ群馬杯)で、初の4強進出。全国最終予選の県4強入りも、今回が初めてのことだった。
三番・三塁の柴田大晴(上)は前日の準決勝で二塁打。二塁手の田島颯祐(下)は、3回一死二塁からゴロをファンブル(失策)も、拾い直しての本塁送球で二走の生還を阻んだ。2人はともに5年生
笑う門には――。
「子どもたちには高校まで野球をやってくれればいいかな、くらいに思っているんですよ。上に進めば、どのポジションをやるかもわからないので、本人がやりたい!というところで1回はチャンスを与えるようにしています。ぶっちゃけ、髙橋が試合で投げ始めたのも、この県大会からだったんですよ。あの子が『ピッチャーやりたい!』と言うので」(杉本監督)
投手の難しさやマウンドの孤独を嫌というほど味わっただろう髙橋は試合後、途中交代を申し出なくて正解だったと振り返った。そして指揮官について、ポツリとこう漏らしている。
「優しい監督です」
そんな右腕が、現在は三塁手にもトライしているという。あっけらかんとしたものだ。子どもは大人が思うほど、ひ弱でもナイーヴでもないのかもしれない。あるいは、杉本監督によって逞しく育っているのかもしれないが、県大会後の髙橋とチームについてはこう語っている。
「高橋? 別にケロッとしてますよ(笑)。今回、県4位になって関東学童(8月2・3日)に出ることが決まったので、去年ベスト4に入った8月の県大会に出られない。去年だったら、今ごろはその予選の市内大会に出ていたんですけど、今年はそれも出られないから、モチベーションが落っこちちゃって困ってる(笑)」
いちいち気取らない指揮官だから、外敵も生まれないのかもしれない。3位決定戦に敗れた選手たちは、続いて行われた決勝戦のスタンドで、同じ前橋勢の上川ジャガーズを応援していた(=下写真)。
「だいたいみんな仲が良いんですよね、前橋市で」(杉本監督)
ちなみにチーム名の「オール東」と「大利根」の間に空白(スペース)があるのは意図的なもの。その昔は「オール東スポーツ少年団大利根」が正式名称だったという。指揮官が語った事の顛末を、要約してお伝えしよう。
チーム名が長過ぎる、との非公式なクレームが大会主催者などから相次ぎ、まずは「スポーツ少年団」をそっくり割愛した。しかし、今度は「東」を「あずま」ではなく「ひがし」と誤って読まれるようになってしまい、あえて一文字分の空白を入れることに。ナカグロの「・」を使わないのは、合併チームと間違われたくない、との理由もあるからだという。
杉本監督と話をしていると、これらを聞かされているだけでも笑いが絶えない。笑う門には福も人も来たる、ということか。